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機械翻訳の結果

【解題】羅針盤の周りで 緊急サービスからの日記シート1939-1945

本稿は、スウェーデン防大学が1953年より発行している「軍事史ジャーナル」1965年号に掲載されたスティグ・エリクソンの第二次大戦の回想「KOMPASSEN RUNT Dagboksblad från beredskapen 1939-1945」(コンパスアラウンド 緊急サービスからの日記シート1939-1945)を例によってグーグル翻訳に通しただけのものである。
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著者・Stig H:son Ericson は1897年、ストックホルム生まれ、1985年没、享年87。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ee/Admiral_Stig_Hson_Ericson.jpg
父は1917年に海軍大臣を務めたホーカン.H.K.エリクソン提督(最終階級少将)である。

エリクソンは1918年に兵学校卒。冒頭あるようにエリクソンは38年まで当時新鋭の都市級駆逐艦ストックホルム」艦長を勤めた後、軍令部作戦部長として3年間勤務し、その途中でWW2開戦を迎える。

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駆逐艦ストックホルム https://digitaltmuseum.se/011015377261/jagaren-stockholm-den-31-mars-1938 より。1938年撮影らしいので正に艦長時代の艦影なはず

42年、装甲艦ドロットニング・ヴィクトリア艦長に転じ、43年9月に沿岸艦隊参謀長。

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戦時中のドロットニング・ヴィクトリア https://digitaltmuseum.se/021015561477/mm06035 より

44年には海軍管理局*1兵器部長に異動。昇進し少将・同局副局長として終戦を迎えた。

その後、1950年から53年にかけ沿岸艦隊司令官、53年に中将に叙され61年まで海軍司令長官(海軍制服トップ)を務めた。最終階級は大将(退役時に昇格)*2。退役後は王室に出仕し最終的に宮廷長官を勤めた。初期冷戦における海軍指揮と、軽艦隊路線を決定づけた60年海軍計画の策定が最大の業績である。
退役後、3冊の回想録を出版しているがいずれも邦訳はされていないと思われる。


特に海軍を中心とした北欧諸国の戦時外交・戦略が主題となっており、警備等の詳細はあまり書かれていない。また同国海軍史に特筆すべき事件事故に関しては、当時の職位と関係が薄いせいか記述は非常に淡泊な物に収まっている。

原文は数か所がアスタリスクで区切られているだけであった。
しかし、記事として長大な事とインデックス性のため、アスタリスク位置に大見出しを、その他に適宜中見出しを付けた。原注・要約はそのまま文末に付し、人物、翻訳の癖などを注釈の形で適宜補っている。

*1:Kungliga Marinförvaltningen

*2:小所帯のスウェーデン海軍は制服トップが中将、国王も大将位である